自分の作った料理で
お客さんを笑顔にしたい
みんなが自然と
集まってくれて
常連さんみんな仲の良い
でも一見さんも
楽しんでもらえる
花の里のような小料理屋
※花の里、相棒に出てくる小料理屋さん
そんなお店をやりたいって
数十年前
夢を持っていました
こんにちは
改めまして
かおりんこと
高野香織といいます
アメブロで1年ちょっと書いて
こちらのブログに引っ越してきました
こちらでも
よろしくお願いします
こちらのブログでは
初めてなので
なんで、あたしが
「わんちゃんの手作りごはん」を
やり始めたのかを書きますね
小さい時から
料理やお菓子作りが大好きで
良く母のお手伝いをしてました
高校の時に
そこそこ高級なお寿司屋さんで
アルバイトをして
お寿司だけでなく
1品料理とかもあって
それを常連さんやお客さんが
美味しそうに食べてはる姿を見て
あたしも
料理の道に
進みたい
って
調理の専門学校へ
学校行きだして
暫くたって
京料理美濃吉の
調理補助の募集をみて
男性に限るって
書いてあったけど
調理長に何回も電話して
面談も何度もしてもらって
どの男性よりも
やる気だけは
あります
絶対に働かせて欲しい
頼み込んで頼み込んで
雇って貰えた
そこから専門学校と掛け持ちして
卒業後
その当時では
女性の
初の板前として
就職して
先輩たちを追い抜いて
色々なポジションを
させた貰った
凄く楽しくて
わくわくしてたけど
5年後
色々な事情から
自分で店をする事に
この時は
親のレールにのるしかなくて
また美濃吉で修行してたい
って言えんかった
そんな風に
完全手作りの
定食屋さんを始めて
お客さんが喜んで
食べてくれるんは
嬉しかったけど
居抜きのお店で
観光客相手で
門限とかもあって
引かれたレールが
しんどくてしんどくて
仕方なくて
結局想いもなく
わくわくもなく
レールを降りて
逃げ出してしまった
お店たたんだ後
調理の道の
戻る選択もあったけど
もう一度調理の道に
戻ろうって
気持ちも持てんかった
あんだけやりたかった事やのに
あのお店をたたんだ日に
夢も想いも
全て置いてきてしまった
その後は保険の営業したり
事務員したり働いてて
結婚したんやけど
結婚して料理を作って
あげる人が出来て
最初こそは
そんな文句もなかったから
楽しく料理してたんやけど
コップの水が少しずつ
溜まっててたんやと
思うんやけど
ある日を境に
ニンニク使うな
味つけがおかしい
とか
めちゃくちゃ文句言われだして
食の好みが合わんのを
我慢してはったんやと思う
食の好みだけは
しゃーないし
ちょうどそのタイミングで
事務所が田舎に移転して
通勤に1時間以上
かかるよーになって
旦那さんが18時には帰ってたから
毎日のごはん作りを任せて
土日も外食や出前でって
一切ごはんを作ることを
手放してしました
あんだけ好きやった
調理やけど
こんな風に
調理をする事自体が
嫌で嫌で仕方なくて
苦痛な物になってしまった
でも
こんなに苦痛になってた
調理することが
今は
人のごはんも
わんちゃんのごはんも
作る事が楽しくて
仕方なくなった理由は
次の投稿で
Profile
1975年、京都府生まれ
自分の作った料理で人を笑顔にしたいと、板前の世界に飛び込み、京料理の老舗”美濃吉”で5年間勤務
その後、完全手作りの定食屋さんを開業
料理の世界から離れ
結婚数年後、旦那が私の作った料理を食べてくれなくなり、合わせて、娘が人前でごはんを食べれなくなり拒食症に
板前として磨いた料理の腕も虚しく
2人に何とかごはんを食べて欲しく、悩みまくって料理を作った日々
しかし「なぜ食べれないのか」には耳を傾けず、寄り添えなかった経験が使命へ繋がる
旦那とのコミュニケーションを避け、お互いが相手に寄り添えず離婚
離婚後、旦那の病気が発覚し、突然の死
死の発見者となり精神的に不安定になり、その状態から救ってくれた”わんちゃん”に、何の疑問も持たず当たり前のように“ペットフード”を与えるが“ペットフード”の危険性を知り手作りごはんに出会う
ペット食育協会APNAでわんちゃんの手作りごはんを学び、ペット食育上級指導士になる
日本料理の板前の経験から、わんちゃんも人も一緒に取り分けで美味しく食べれる
「家族みんなで食べられる手作りごはん」を考案
今まで携わった手作りごはんの数は25,000食以上
無添加の手作りおやつをオンライン・委託店舗で販売
笑顔溢れる明るい未来へ
わんちゃんと飼い主さんが一緒に心躍る
楽しい日々を過ごせるようにすると
わんちゃんと飼い主さんに寄り添っている
★調理師免許取得
★APNA上級指導士