わんちゃんの
手作りごはんをきっかけに
家族のごはん・環境の見直しをして
みんなが健康になって欲しい
なぜ私がそう伝えてるのか
人からわんちゃん
そして家族へとなった
私の想いを
先日BBAのお兄ちゃんと
大阪で軽く一杯してきました
2時間位って言いながら
気づいたら3時間半やったけど
色んな話をしてる中で
かおりんに足りんのは
プロ感ちゃう
元板前ってどっかで載せてる?
ただの犬好きがわんちゃんの手作りごはん
学んでやってるって感じやん
確かに板前の話を書いた記憶があんまない
なんで書かんの
元々板前としてやってて
わんちゃんのごはんをやりだして
人も一緒にってぐるっと一周まわって
人もわんちゃんも幸せにしたいって
やってるんやったら書かなあかんやろ
と言われたので
素直に書いてみようっと
私が生まれたのは
京都府の田舎
亀岡市
まわり見渡す限りの
田んぼ畑
こんな田舎で
のびのびは過ごしたけど
小学校から
ずっといじめにあってて
何回消えてしまいたいって
思ったかわからんかった
6歳離れた弟ができてからは
母は弟ファーストで
ちょっとでも構って欲しくて
良い子を演じて
顔色ばっかりうかがってる
子ども時代
それが今も続いてて
人の顔色ばっかり気にしてる
なかなか自分軸で考えれない
人のためなら動けるけど
自分のことは後回しにして
ここを変えていかないとって
思考を変えるように意識してる
そんな小学校の3.4年の頃に
台風の大雨の次の日
友だちと喧嘩をして
1人で帰ってる時
小さな石橋から足を踏み外して
増水した2m幅位の
川に落ちてしまった
水の流れは激しくて
凄い水圧の中
流れないように
必死で生えてた草を掴んだ
この草が切れたら
このまんま死んじゃう
走馬灯のように
色んな風景が浮かんできて
これで虐められなくてすむんかなぁとか
喧嘩した友だち責任感じるかなぁとか
そんなことを思いながら
でも何とか流されないように
必死で叫んでたら
近所のおじさんが気づいてくれて
おじさんの首近くある
川の中に入って
流されそうになりながら
助けてくれはった
九死に一生を得る
まさにこの事で
助けてくれはったおじさんも
このまんま二人ともあかんって
正直思ったって
みんなに言ってはったらしい
この時に救ってもらった命
無駄にしたらあかんなって
子ども心に思った
って言いながらも
その後も虐められたりして
あんまり楽しい学生時代を
送ってないんやけど
そんな子ども時代やったけど
お菓子作りが好きで
料理するのが好きで
母の手伝いをしてた
そんな中高校の時に
まわらないお寿司屋さんでバイトして
板前さんの一品料理を目当てに
常連さんが来られたり
ここに連れてくると
商談が上手くいく
って笑顔で食べはる姿をみて
自分の作った料理で
人を笑顔にしたい
って
料理の道に進むことを決めて
調理師の専門学校に
専門学校在籍中に
日本料理の美濃吉の
調理補助の募集をみて
男性って記載はあったけど
そんなのお構いなしで
何度も電話して
やっと調理長と話をさせてもらって
やる気だけは誰にも負けないので
女性って理由で落とすのだけは
やめてください
って頼み込んで
バイトさせて貰うことに
盛り付けとか仕込み
やれる事は限られてるし
何時間も小麦粉をふるってる
ってだけの日もあったけど
調理出来るのが
楽しくて仕方なかった
専門学校でも
調理実習の時
って聞いて貰えるのが
めっちゃ嬉しかった
バイト先の調理場から
お客さんの顔は見えなかったけど
仲居さんから
喜んではったよとか
美味しいっていうてはったよって
聞くのが嬉しくて仕方なかった
2年弱バイトした後
専門学校卒業のタイミングで
女性を雇わないって会社に
調理長が掛け合ってくれはって
新入社員として入社
バイト1年目に
新入社員だったのが
2こ上の先輩
バイト2年目に
新入社員で仕込みとかを
私が教えた人が1こ上の先輩
バイトやった立場から
一番下っ端になって
上下関係の厳しい世界
バイトの時は
煮方、椀方、焼方とかの
盛り付けとか補助が主
同然普通なら
下っ端はそんな仕事
させて貰えないわけで
でも忙しくなってくると
下っ端の仕事は
先輩に任していいから
今まで補助してたトコを
手伝って言われて
それが
一緒に配属されて同期
1こ上2こ上の先輩たちは
面白くないし
どんどん溝が…
陰湿な虐めの幕あけとなる
Profile
1975年、京都府生まれ
自分の作った料理で人を笑顔にしたいと、板前の世界に飛び込み、京料理の老舗”美濃吉”で5年間勤務
その後、完全手作りの定食屋さんを開業
料理の世界から離れ
結婚数年後、旦那が私の作った料理を食べてくれなくなり、合わせて、娘が人前でごはんを食べれなくなり拒食症に
板前として磨いた料理の腕も虚しく
2人に何とかごはんを食べて欲しく、悩みまくって料理を作った日々
しかし「なぜ食べれないのか」には耳を傾けず、寄り添えなかった経験が使命へ繋がる
旦那とのコミュニケーションを避け、お互いが相手に寄り添えず離婚
離婚後、旦那の病気が発覚し、突然の死
死の発見者となり精神的に不安定になり、その状態から救ってくれた”わんちゃん”に、何の疑問も持たず当たり前のように“ペットフード”を与えるが“ペットフード”の危険性を知り手作りごはんに出会う
ペット食育協会APNAでわんちゃんの手作りごはんを学び、ペット食育上級指導士になる
日本料理の板前の経験から、わんちゃんも人も一緒に取り分けで美味しく食べれる
「家族みんなで食べられる手作りごはん」を考案
今まで携わった手作りごはんの数は25,000食以上
無添加の手作りおやつをオンライン・委託店舗で販売
笑顔溢れる明るい未来へ
わんちゃんと飼い主さんが一緒に心躍る
楽しい日々を過ごせるようにすると
わんちゃんと飼い主さんに寄り添っている
★調理師免許取得
★APNA上級指導士