両親の顔色ばっかり
うかがっていた幼少期
そのくせが今も人の顔色を
うかがってばっかりいてしまう
そんな自分と向き合うために
今日はそんなお話です
数ヶ月ぶりに
実家に帰ってきました
前回帰ったのは
何時やったんやろって
思い出せない位
父と向き合って
ゆっくり話すってことは
出来んかったけど
今まで頭ごなしに
否定してきてはった言動とは
なんかちょっと違ってたのは
私の捉え方が変わったんかも
今後について
少し話せたから
よしとしよ
今回帰った大きな理由のひとつ
母に会いたい
認知症で施設に入ってて
施設に入る前に会ったきり
2年近く会ってない
最後に会ったのは実家で
私をヘルパーさんと思って
お世話になってます
すみませんねぇ
って言ってはった
今回会って
私って気づいて貰えるかは
分らんけど…
でも
どうしても会って
産んでくれてありがとう
って言いたかった
面会も仕切り越しで
直接触れ合うことも出来ない
そんな状態やったけど
会ってすぐに
って言ってもらえて
めちゃくちゃ嬉しかった
母が落ち着かなくて
会話らしい会話は出来なかったけど
15分という時間を
一緒に過ごしてきた
途中、私って分かってなかったけど
それでもヘルパーさんが
娘さん来てくれはって
良かったね
って言葉に対して
可愛いやろ
私が産んでん
小さい時は
可愛くて可愛くて仕方なかった
ってヘルパーさんに
言ってる言葉を聞いて
可愛がってくれてはったんや
可愛いって思って貰えてたんや
って涙が溢れてきた
愛し方は
ちょっと歪んでたかもしれない
母の気に入らないことがあると
無視されたり怒鳴られたり
可愛くない子
出ていけーー
って言われたり
人やから
イライラしたり
感情的になったりすることもある
その時に思ってもない事を
口走ってしまうこともある
母のあの時の言動・行動が
私の中で根深い傷のなって
私なんて愛されない
人は私のことを嫌いになって
離れていってしまう
人の顔色ばっかり伺って
言動に一喜一憂して
言われてもないこと
起こってもいないことを
勝手に想像して不安になって
どんどん思い込んでしまう
昨日、母に会って
って言葉に救われた
母は母なりの愛情表現を
自分の精一杯でしてくれてたって
今なら思える
ある方が
その時のその人のベストやった
それが悪い良いはない
ベストな状態で向き合ってきた結果
そんな愛し方しかできなかった
ってだけの話
そこを受け入れていくことが
大切になってくる
母との面会は
15分間で話してるのは
ほんの数分やったけど
行って良かったって思う
最後、面会が終わる間際に
産んでくれてありがとう
って横顔に伝えれた
聞けえてるのか
理解できてるのか
そこは分らんけど
自分のなかで一歩前に向けた
父も母もかなり弱って来て
残りどれだけ一緒にいれるか分からない
今まで会いにも行かずやったけど
後悔のないように向き合って
少しでも一緒に過ごす時間を作ろうと思う
今の私があるのは
父と母がいてくれたから
小さい時の色んなことが
ずっと引っかかってたけど
全部が全部急に気にしないって
そんなのは無理かも知れないけど
父と母のベストな状態で
接してくれてはったんやって
言われるだけじゃなくて
感じて腹落ちしたので
悪い思い出じゃなくて
少しずつ良い思い出に
塗り替えて行きます
Profile
1975年、京都府生まれ
自分の作った料理で人を笑顔にしたいと、板前の世界に飛び込み、京料理の老舗”美濃吉”で5年間勤務
その後、完全手作りの定食屋さんを開業
料理の世界から離れ
結婚数年後、旦那が私の作った料理を食べてくれなくなり、合わせて、娘が人前でごはんを食べれなくなり拒食症に
板前として磨いた料理の腕も虚しく
2人に何とかごはんを食べて欲しく、悩みまくって料理を作った日々
しかし「なぜ食べれないのか」には耳を傾けず、寄り添えなかった経験が使命へ繋がる
旦那とのコミュニケーションを避け、お互いが相手に寄り添えず離婚
離婚後、旦那の病気が発覚し、突然の死
死の発見者となり精神的に不安定になり、その状態から救ってくれた”わんちゃん”に、何の疑問も持たず当たり前のように“ペットフード”を与えるが“ペットフード”の危険性を知り手作りごはんに出会う
ペット食育協会APNAでわんちゃんの手作りごはんを学び、ペット食育上級指導士になる
日本料理の板前の経験から、わんちゃんも人も一緒に取り分けで美味しく食べれる
「家族みんなで食べられる手作りごはん」を考案
今まで携わった手作りごはんの数は25,000食以上
無添加の手作りおやつをオンライン・委託店舗で販売
笑顔溢れる明るい未来へ
わんちゃんと飼い主さんが一緒に心躍る
楽しい日々を過ごせるようにすると
わんちゃんと飼い主さんに寄り添っている
★調理師免許取得
★APNA上級指導士